本当に日本に死刑は必要なの

2009年06月01日

 私は、日本弁護士連合会の死刑執行停止実現委員会(略称)の事務局長をしているのですが、今年3月にはイギリス下院議員の方が、4月には在日スペイン大使館一等書記官の方が日弁連を訪れ、日本の死刑制度について質問をしていきました。「何故日本では死刑制度を維持しているのですか。不思議だ。」という質問です。イギリスは約50年前に、スペインも約40年前に死刑を廃止しているのですが、決してヨーロッパを真似しろと言っているのではなく、日本は立派な民主主義の国で、人権を尊重すると世界に約束しているのであるから、死刑などという残虐な刑罰を用いなくとも、治安を維持し、被害者を支援していくことは十分可能なはずなのに、何故野蛮な死刑制度を維持しているのか、不思議に思われているのです。

 死刑制度が残虐な刑罰であり、すすんだ民主主義社会においてはいずれはなくなるべき刑罰であること(死刑廃止が望ましいこと)は、かっては日本でも国会議員、法務省、裁判所、マスコミ等の共通の前提であり、市民の間にも同様の認識が相当数あったと思います。しかし最近は、この前提が失われ、まるで日本では永久に死刑を積極的に活用することが「正しい」ことであるかのように論じられています。

 私は、死刑廃止が望ましいという前提にもう一度立ち返る必要があると思います。
被害者のご遺族が犯人に対し死刑を望んでも自然な感情だと思いますが、被害者・加害者という立場とは別に、この社会をどういう社会にしていくのかを考え、決定していく市民の立場というものがあります。どういう社会にすみたいのか(残虐な社会や、暴力が暴力を生むような社会ではなく寛容な社会が望ましい。)、どうしても死刑制度が必要なのか(死刑に他の刑罰と比べて、特有の強烈な威嚇力があることは全く立証されていません。

 また誤判の危険性は人間の行う裁判においては避けられないものですが、死刑制度が存在する限り、かけがえのない生命を誤って奪う危険性は常に存在しています。)、死刑制度を維持することによる弊害はないのか(死刑になりたくて殺人事件を犯す例もまま見られます。死刑制度があることによる裁判、弁護、執行に要する社会的なコストは相当高額なものだと思われます。)などを、冷静に考える必要があると思います。

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