OK弁護士に対する中村治郎弁護士の意見

2009年09月22日

OK先生

死刑は、「生命権」と「個人の尊厳」という基本的人権を侵害し、「人殺し」という正義に反する制度であるとの認識を共有するしかありません(欧州評議会人権理事会「死は正義ではない」という小冊子をご参照下さい。)。

古色蒼然たる昭和23年の最高裁大法廷判決を批判して、現在では、死刑は「生命権」
と「個人の尊厳」を保障し、「残虐な刑罰」に該当する違憲な制度であるとすべきです
。私は、麻原裁判の際に、ただ一人死刑違憲論をを主張しました。なお、この最高裁判決が出された後に11月12日に極東軍事裁判で東條英機らA級戦犯7名が死刑判決を受け、12月23日に巣鴨プリズンで絞首刑となっているため、当時日本を占領統治していたGHQがまさに日本の元戦争指導者達を死刑にしようとしていた手前、死刑制度を違憲とすることは出来なかったとの指摘もあります。天皇も訴追されていたらどうなったでしょうか(ドイツでも憲法上死刑を廃止したときに、同様の問題があったのは、ギーセン大学でのシンポジウムでお聞きしたとおりです。)。

なお、この判決には、島保裁判官の次のような補充意見(岩松三郎裁判官他2名も賛同
)が付せられていました。
「何と云つても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時
代が来ればいい」が基になっており、判決文最後には「この感情に於て私も決して人後
に落ちるとは思はない、しかし憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈けで固
より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し死刑を必要としない、若
しくは国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条
文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろ
う、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはないのが実状だから。」と結ばれており、
当時の最高裁裁判官は法解釈上は死刑は合憲であると判断しているが、死刑制度そのも
のについて相当躊躇していたことが伺われる判決文になっている。そのため、将来死刑
を必要としない社会の到来を求めているともいえる。

その後、1993(平成5)年9月21日、最高裁判決において,大野正男判事が補足意見で「
死刑の廃止に向かいつつある国際的動向と、その存続を支持する我が国民の意識とが、
このまま大きな隔たりを持ちつづけることは好ましいことではない」、「死刑が残虐な
刑罰」にあたると評価される余地は著しく増大した」と述べ、死刑執行停止法や重無期
刑の導入という立法的施策を提案しましたが、現在では、南アフリカ共和国憲法裁判所
が下した死刑違憲判決と同様の論理で違憲とすべきです。

復讐が認められないのは、それが「人殺し」であり、「生命権」と「個人の尊厳」とい
う基本的人権を侵害するからです。新渡戸稲造の「武士道」という著作の中で「切腹」
と「仇討ち」を美化するような記載があるが(近代刑法が施行されると共に、存在理由
を失ったと述べている。)、これをもって日本の文化ということは、封建時代なら兎も
角、日本国憲法下の「生命権」と「個人の尊厳」が保障される民主主義社会では否定さ
れた文化と言わざるを得ません。その意味で、「わが国には、死をもって償う文化があ
る」と森山法相が欧州評議会との会議の冒頭で述べた発言は、時代錯誤も甚だしいもの
です。

OK先生の「正義論」では、極悪非道な犯罪者は、死刑になっても致し方ないとの考
え方になってしまいがちです。私は、日弁連の死刑廃止国調査団長として、パリの憲法
評議会でバダンテール議長(元法相)にお会いしたときに、彼が述べた「人は変わりう
る者であり、それだからこそ、死刑は廃止されなければならない。」との言葉を忘れら
れません。どんな極悪非道な犯罪者でも変わりうる者なのです(私は、教育刑論者です
。)。それだからこそ、彼を死刑にしたり、終身刑にしたりしてはならないのです。つ
まり、死刑という「人殺し」は、どんな場合でも、正義ではないし、「残虐な刑罰」な
のです。


戻る