死刑が日本の文化だなんて大嘘

2009年12月16日

12月5日から12月14日にかけて開催された
国連刑廃止条約20周年 東アジア死刑廃止大会
のうち、12月13日に開催された全体会シンポジウム
「死刑はアジアの文化だ」って本当ですか?
に出席しましたので、ご参考までに印象に残った発言
をご紹介します。

死刑の廃止は文化の問題ではなく、政治の問題であり、政治家のリーダーシップの
問題であることが強調されていました。
 
○台湾の林欣怡氏(死刑廃止推進連盟執行長。念のため女性です)
以下は、私の聞き取りメモなので誤りがあるかもしれません。かっこの中は私の補足です。
2000年政権交代(国民党から民進党へ)し陳水扁総統は死刑廃止を約束し、チャン法務部長(法務大臣)は3年で死刑廃止を約束したが、約束を果たせなかった。NGOは政府はあてにならないと考え死刑廃止推進連盟を結成した。活動は二方向であり、一つは国際的な場に出ていき外国から人を招くこと、二つは草の根の運動をした。(2008年民進党から国民党へ政権交代し馬英九総統となったが、死刑廃止は政権の重要課題となっている
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=20003
2005年12月から死刑執行停止?
2006年10月 モラトリアム宣言?
43人の死刑確定者がおり、台湾の世論は圧倒的に死刑支持だが、馬政権の法務部長は、死刑を検討する会議を開いており、NGO も参加している。
 
★政権交代が死刑執行停止の一つのきっかけとなっていること、世論は死刑存置だけれど政治家がリーダーシップをとってNGOと協議しながら死刑執行停止を進めていることなど、日本にも参考になる点が多々あると思います。
 
○朴秉植(韓国、東国大学法学部教授)
死刑は文化ではない。文化とは育むべき良いものを指すのであって、人を殺すことは文化ではない。せいぜい文化財であって文化ではない。アジアとヨーロッパに違いはあっても、死刑がアジアのアイデンティテイではない。日本で死刑があるから死刑はアジアの文化と言うなら、韓国は死刑廃止(事実上)であって、日本との無理心中に巻き込まれたくない。日本はよくばりな国。世界最高の治安の良さがありながらまだ足りない。殺人は日本は韓国の半分しかない。また日本はせっかちな国。どんどん殺せ。がまんして待っていても良いだろうに。凶悪犯罪が起こるから死刑と言うが、絶滅などと言うべきでない。絶滅しないと死刑廃止と言わないのか。廃止論者も原理主義にならないで終身刑を考えたら良い。
 
★朴教授のお話は平易ななかに説得力があり、「文化」という言葉が、「死刑はアジアのそして日本の文化だから死刑があることはやむを得ない」と思考停止させるためのマジックワードになっている気がしました。
 
○デイビッド・ジョンソン(米国、ハワイ大教授)
・死刑はいずれ無くなる。アジアでも日本は現在例外的に死刑を増やしているが、いずれは無くなる。人権は世界のほとんどの国で正当性を認められているし、政治的な変化が起こると死刑は急速に無くなる。文化の変容が死刑の廃止につながった例はない(死刑を存置していた国の文化が変容して死刑の廃止になった例はない)。死刑の廃止は政治家が最前線でリーダーシップをとることによって起こっている。中国では死刑の執行数が多いが世論の支持は他の国より低く、世論では死刑の説明にならない。シンガポールでは年によって死刑の執行数に非常にばらつきがあり、数年前には74人、去年は1人だけ。文化という言葉では説明がつかない。
・アメリカでも日本でも被害者を刑事司法の中心的役割とする制度がうまれた。死刑制度はこれまで国家がどう権力を行使すべきかという論点で考えられてきたが、死刑を被害者へのサービスというプログラムとしてとらえ、国家が背景へ押しやられている。新しい枠組み、死刑を肯定的にとらえ、被害者を支持する仕組みとしてとらえている。被害者を侮辱する意思はまったくないが、このような見方に対しては死刑廃止の観点から反論する必要がある。
 
★ジョンソン教授のお話もとても説得力がありました。たしかに文化という言葉では、死刑の存置も廃止も説明がつかないと思います。また死刑を被害者を支持する仕組みととらえる見方について、死刑止という観点から、どう反論するのか今後の課題だと思います。修復的司法でしょうか。
 

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