本当に日本には死刑は必要なの?

ニルス・クリスティ教授をお招きすることになりました

りす
ニルス・クリスティ教授をお招きすることになりました
 
1 日弁連では、今年10月6日に高松市において開催される第54回人権擁護大会シンポジウム第一分科会「私たちは『犯罪』とどう向き合うべきか?―裁判員裁判を経験して死刑のない社会を構想する」(サンポートホール高松、12時30分~18時)に、ノルウェー、オスロ大学のニルス・クリスティ教授をお招きすることとなりました。
 
2 クリスティ教授については、2009年8月、NHKで放映された「未来への提言 犯罪学者ニルス・クリスティ~囚人にやさしい国からの報告」というテレビ番組をご覧になった方も多い思います。全く不思議な番組で、映し出された映像では、綺麗な家に殺人犯が住んでいて、自分で料理などもし、休日もあり、にこやかに微笑んでいました。これがノルウェーの刑務所なのか? 私は、殺人事件の弁護もしますし、刑が確定した後の受刑者と面会する機会もあるのですが、日本の刑務所は、沈黙の支配する世界であり、個性を許さない世界です。一体どうしてこんなに違うのだろうと素朴な疑問を持ちました。
 
3 クリスティ教授の本も読んだのですが、これまた不思議な本でした。「人が人を裁くとき」と題する法律書のはずなのですが、「3人の大伯母と過ごしたいきいきとした子供時代の思い出」とかが書いてあり、一体何の本なのか分からなくなりそうです。ただすごく魅力的な本で、「犯罪を天然資源とみなし」(解説によれば、クリスティ教授は世界的に著名な論文「国民の共有財産としての紛争」を書き、これがノルウェーにおいて修復的司法を制度化する重要な動機となったそうです。その思想は、社会に紛争があるということは、市民が自由に思考し、行動していることの証拠であり、市民は紛争を通じて何が社会の規範であるか、その規範は有効か、その規範は現実に適用できるものであるかを体験することができるから、紛争というのは市民の共有財産であり、それから学ぶ機会を弁護士や検察官などに独占させることは、市民を法から疎外することになる。紛争というのは、犯罪の加害者にとっても被害者にとっても、さらに社会の一般の人々にとっても、社会秩序や社会連帯を維持するために市民が何をすべきかを学ぶ貴重な機会であるから、それは国民共有の財産である。)、「刑罰の適量」(社会体制が何を犯罪とするかを決定する。社会における刑罰の適量に一定の基準はあるのだろうか?)を論じ、
①もしも、優しさと許しがもつ価値を信じるなら、刑事施設は小さなものにとどめておくべきである。
②もしも、市民社会が市民社会であり続けることの価値を信じるなら、刑事施設は小さなものにしておかねばならない。
③もしも、連帯した社会で暮らすことの価値を信じるなら、刑事施設の成長を妨げねばならない。
と提言しているのです。
 
4 ノルウェーは、刑事事件について、起訴する前に、とくに少年事件について、被害者と加害者との話し合いを斡旋し、ここで合意が成立すると起訴しないという修復的司法を制度化し、これと同時に刑罰を科する年齢を15歳に引き上げた(それに至らない少年は刑罰の対象とならない)そうですが、この提案を行ったのがクリスティ教授だそうです。
 またノルウェー大使館ドッテ・バッケ一等書記官によれば、ノルウェーで最後の死刑執行は1876年で、その後は死刑をやめて終身刑に移行する動きになり、刑法上は1902年に正式に廃止し、軍隊での戦時における死刑も含めて完全に廃止したのは1979年だそうです(季刊北方圏151号)。
 
5 日弁連では、今年5月にノルウェーに調査団を派遣し、ノルウェー法務省の協力の下、社会復帰のための制度とその実践、閉鎖刑務所・開放刑務所・ハーフウェイハウスといった矯正施設の実態、受刑者が参加して刑務所改革・社会復帰を発言するKromなどについて調査してきました。またクリスティ教授とも、直接、フレンドリーな雰囲気でお話しすることができ、クリスティ教授から、人は野生動物やモンスター等ではなく、「全ての人間は人間である」という素朴な、しかし、深い考え方を学ぶ機会を持つことができ、日弁連の人権擁護大会シンポジウムへの参加をお願いしたところ、快諾していただくことが出来ました(全く残念なことに私はノルウェー調査に同行することはできなかったのですが、同行したメンバーの話しでは、クリスティ教授は、80歳以上の高齢であるにもかかわらず、ヘルメットをかぶって自転車で大学の研究室へ通い、昼ご飯はパンとリンゴだそうで、穏やかで豊かな表情と話し方には思わず引き込まれてしまう魅力があるとのことです)。
 
6 このシンポジウムにおいて、「私たちは『犯罪』とどう向き合うべきか?」を議論します。そもそも刑罰の目的とは何でしょうか。
 最高裁判所が作成した裁判員向けのパンフレット「裁判員制度ナビゲーション」(2010年9月改訂版)」には,刑罰の目的として「犯罪の被害を受けた人が,直接犯人に報復したのでは,かえって社会の秩序が乱れてしまいます。そこで,国が,このような犯罪をおかした者に対して刑罰を科すことにより,これらの重要な利益を守っているのです。」と記載されています。
 ここでは刑罰は、過去の犯罪行為に対する応報として犯人に苦痛を与えるためのものだとする考え方(応報刑)が前提となっています。このパンフレットには、刑罰の目的としてそれしか書いていないのですが、果たしてそうなのでしょうか。
 ドッテ一等書記官は、「ノルウェーは犯罪者の再犯防止、犯罪の予防に重きをおいている傾向があります。犯罪者が正当な刑を受けることも大切です。しかしより
重要なのは、刑を受けている間に適切なケア・教育を受け、社会に戻った時に責任あるメンバーとして暮らせるようにすることです。ノルウェーのシステムは甘すぎると言われることがありますが、犯罪に厳罰で臨んでいる国に比べて犯罪率が高くなく、逆に低いのです。罰を厳しくすることが再犯を防ぐことにはならない。再犯防止のためには、どのようなケアをするかが大切だと考えています。」と述べています。
 応報刑しか前提としない最高裁のパンフレットは、裁判員に重大な誤解を与えるおそれがあります。市民は、刑罰の目的は、「過去の犯罪行為に対する応報として犯人に苦痛を与えるためのもの」だけだと思いかねません。しかしドッテ一等書記官が言うように、「より重要なのは、刑を受けている間に適切なケア・教育を受け、社会に戻った時に責任あるメンバーとして暮らせるようにすることです。」。
 日弁連の「シンポジウムのご案内」には次のように記載されています。
「この世界に『生まれながらの犯罪者』はいません。犯罪に至るまでには、様々な
原因があり、複雑な過程があります。それらを明らかにしたうえで、二度と同じ過ちを犯さないようにするには何が必要で、何が妨げになっているのかを見出し、問題点を克服するための具体的な取組を実践していく。本来、刑罰制度とは、そのような枠組みを提供するものであるべきです。過ちを犯した人の立ち直りを助け、彼らが再び社会の一員として復帰できるように努力する社会か、それとも、過ちを犯した人を切り捨て、ひたすら塀の中に隔離して社会から排除し、場合によっては生命を奪い、永久に社会復帰の道を断つ社会か。私たちは、どのような社会を選ぶべきなのでしょうか。」
 このシンポジウムでは、「生命を奪い、永久に社会復帰の道を断つ」死刑についても議論することになっています。
 是非、多くの市民の方が、このシンポジウムへ参加してくださるようお願いします。
 なお、日弁連のノルウェー調査の報告集会を、9月2日午後6時から8時まで、弁護士会館クレオ1003号室で開催する予定です。ノルウェーの状況について、ビジュアルにリアルにお伝えしたいと考えていますので、この報告集会へも多くの市民の方にご参加いただきたいと思います。
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