「死刑廃止について全社会的議論を呼びかけます 下」法律新聞1987号

2013年04月02日

「死刑廃止について全社会的議論を呼びかけます 下」
平成25年(2013年)3月29日 週刊法律新聞1987号
小川原優之弁護士
日本弁護士連合会死刑廃止検討委員会
事務局長
第二東京弁護士会

(前号からのつづき)
 いわゆる先進国の集まりであるOECD(経済協力開発機構)加盟国(34か国)の中で死刑制度を存置している国は,日本・韓国・アメリカの3か国のみですが、韓国とアメリカの17州(アメリカでは、DNA型鑑定による大量の誤判・誤執行がイノセンス・プロジェクトにより判明したことなどから、死刑判決も執行数も激減しています)は死刑を廃止または停止しており,死刑を国家として統一して執行しているのは日本のみです。
 2012年12月20日,国連総会は,日本を含む全ての死刑存続国に対し死刑廃止を視野に執行を停止するよう求める決議案を賛成多数で採択しました。
 こうしたなか、日本の死刑制度は国際人権法の観点から様々な批判を浴びてきました。例えば、「死刑の執行をすみやかに停止」すべきであるとする国連拷問禁止委員会の勧告や,国際人権(自由権)規約委員会からは,「世論調査の結果にかかわらず,死刑制度の廃止を前向きに検討」すべきことが勧告されています。
 アジア諸国も含めて,世界が死刑存置から死刑廃止へと向かう情勢において,日本における死刑制度の存置と継続的な死刑執行は,国際的に大きく注目され,批判の的となっています。2012年10月31日に実施された国連人権理事会作業部会による日本の人権状況に対する第2回目の普遍的定期的審査(UPR)においては,意見を述べた42か国のうち,24か国もの国が日本の死刑制度及びその運用に変更を求めて勧告を行いました。しかしこのことは、日本国内のマスコミでは、ほとんど報道されなかったのではないでしょうか。
 日本は、国際社会からの勧告に頑なに抵抗し、谷垣法務大臣は死刑の執行を強行しました。果たして、国際社会における外交上、このままで良いのでしょうか。日本は、人権を尊重する民主主義社会として、諸外国と共通の価値観を有する国として、死刑のない社会を実現することを求められているのです。

9 政治的なリーダーシップについて
 死刑を廃止してきた諸外国の例を見ると,死刑を存置するか廃止するかは世論調査の結果決められたわけではありません(日弁連作成「政治的リーダーシップによる死刑廃止事例」http://www.moj.go.jp/content/000060815.pdf)。
 ヨーロッパにおいても,イギリスは1969年に死刑を廃止しているのですが、1962年の世論調査では81%が死刑を支持していましたし、フランスは1981年に廃止したのですが、同年の世論調査では62%が死刑を支持していました(ミッテランは死刑廃止を公約の一つとして大統領に当選し、バタンデールを法務大臣に起用することによって死刑廃止を実現しました)。
 また,アジア諸国においても,例えば韓国は、世論調査の結果は平均して60%以上が死刑存置を求めているにもかかわらず、金大中大統領が死刑の執行を停止し、その後もそれを継続しています。
 ジョンソン教授が指摘するように,死刑の廃止・執行停止は,世論による死刑支持率が低下したためではなく,政治家のリーダーシップによって達成されてきました。死刑の存続を決定するのは,世論や大衆の要求ではなく,政治指導者たちによる,リーダーシップなのです(「グローバル化する厳罰化とポピュリズム」所収の「国際社会から見た日本の刑罰」現代人文社76頁)。
 その意味では、日本でも、やはり政治家のリーダーシップが是非とも必要なわけですが、残念なことにそのような政治家が一朝一夕で登場することはないのかもしれません・
 この間、私は与野党を問わず多くの政治家の方とお話をしてきたのですが、ほとんどの方が、「選挙民から死刑廃止は支持されない、それどころか落選しそうだ」というお話をお聞きしました。選挙で当選できるかどうかはその時々の政治情勢によるところが大きく、単純に死刑廃止派だから落選するということではないと思いますが、選挙の際には、やはりこの点を選挙民から問われることがあるようです。
   そのような厳しい選挙事情をお聞きする中で、「日弁連のような人権擁護団体が、死刑廃止について活動するのは大歓迎だ」とのご意見もお聞きしました。
   やはり死刑廃止について、社会的にそれなりに大きな声(多数派になることは現実的に難しいとしても、社会的に無視し得ない程度には大きな声)にならないと、政治家のリーダーシップというだけでは、志のある政治家も動けないと思います。
 なぜ死刑のない社会が望ましいのか、死刑制度にどのような問題点があるのかを、多くの市民に分かりやすく伝える活動が必要ですし、それには日弁連だけでは無理なので、影響力のある宗教団体や市民運動、研究者やマスコミの皆さんと連携して運動を進めていく必要があります。
  また個々の政治家を応援する必要もありますし、そのための活動をどう作っていくのかも、現実的で重要な課題です。

10  日本の文化について
  以前ある法務大臣が、「命をもって償うのが日本の文化である」と発言したことがありました。だから日本では死刑制度を維持するというのです。 
  しかし諸外国での死刑廃止に至る経緯を見ていくと、もちろんそれぞれの国ごとで状況が異なり道筋も異なるわけですが、死刑廃止は「文化」の問題ではなく、「政治」の問題です。それまで死刑を存置する「文化」だった国が死刑を廃止する「文化」へと変わったことにより死刑を廃止したのではなく、前述したように政治家のリーダーシップによって廃止へと至ったのです。
  また「キリスト教だから廃止できたのであり、日本では無理だ」との意見も聞きます。確かにキリスト教徒の多い国で死刑が廃止になっていますが、イスラム圏のトルコも死刑を廃止していますし、これはEUに加盟するためでした(EUは、外交政策として死刑の廃止を掲げており、加盟するための条件として死刑の廃止を求めています)。アメリカでは、熱心なキリスト教徒の大統領が、州知事時代に、多くの死刑を執行した例もあります。
  日本の場合は、やはり仏教に頑張ってもらう必要があります。「先祖崇拝」や「因果応報」だけが強調され、家族が殺されたら命で償ってももらうこともやむを得ないし、罪を犯したのだから死刑もやむを得ないと、まるで消極的ながらも死刑を容認するような「俗説」まであるわけですが、本来は「慈悲」の心が強調されて当然だと思います。仏教には、おかれている状況によっては誰でも殺人事件を犯しかねないのであり、罪深い犯人でも、仏教を信じることによって救済されるという発想があったはずなのであって、仏教が死刑を容認するとは思えません。とくに指導的立場にある僧侶の皆さんに、教団として、取り組んでもらう必要があり、信徒を教化してもらう必要があります。
  歴史的に見ても、日本では過去に長期間死刑の執行が停止されていた時代があります。平安時代に、嵯峨天皇が弘仁9年(818年)に死刑を停止する宣旨(弘仁格)を公布して死刑執行が停止され、 保元の乱の起こった保元元年(1156年)まで、日本では347年の間、死刑執行は停止されていたと言われています。これは、不殺生を説く仏教の影響や、穢れ(けがれ)思想、怨霊信仰によるものと言われていますが、日本人の温和な国民性が仏教と結びついたものとの説があります。
  いずれにしても、死刑の存置が日本の文化によるものとは言えません。
日本には「絶対に死刑にするべきだ」という文化があるわけではなく、むしろ寛容な社会を受け入れる文化があると思います。

11  死刑廃止についての全社会的議論を呼びかけます
  日弁連は、今年2月12日、谷垣法務大臣に対し、法務省に死刑制度に関する様々な課題を検討するための有識者会議を設置することや、死刑えん罪事件を未然に防ぐための緊急の措置を講ずることを要請してきました。しかし、谷垣法務大臣は、その直後2月21日に死刑を執行したのであり、日弁連としては、「この要請を無視してなされた死刑執行は、到底容認することができない。」として抗議声明を出しました(「死刑執行に強く抗議し,改めて死刑執行を停止し死刑廃止について全社会的議論を開始することを求める会長声明」
 今後も、日弁連としては、様々な機会をとらえて、死刑廃止について全社会的議論を呼びかけ、死刑の執行停止を求める活動を展開していくことになります。皆んにも、是非、死刑廃止について考えていただきたいと思います。
   なお、日弁連の活動については、ホームページ「死刑を考える」http://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/shikei_qa.htmlや私のホームページ「森のおひさま教室」http://www.morino-ohisama.jp/をご覧になっていただきたいと思います。
(完)

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