「死刑のない社会が望ましいこと」法律新聞2002号

2013年07月23日

「死刑のない社会が望ましいこと」
平成25年(2013年)7月19日 週刊法律新聞2002号
日本弁護士連合会 死刑廃止検討委員会事務局長(第二東京弁護士会)
弁護士小川原優之

1 はじめに 
 私が法律新聞に寄稿した「死刑廃止について全社会的議論を呼びかけます」(1985号、1986号、1987号)
に対する貴殿の「反論」(1996号)
を拝読いたしました。ご意見をいただき有り難うございます。貴殿が「反論」で示された質問や疑問などについて、私の考えを述べたいと思いますが、論述の順番は説明の都合上「反論」に対応しておりません。また以下に述べるところは日本弁護士連合会の見解ではなく、あくまでも私見であることをお断りしておきます。

 2 国際人権法 生命に対する権利
  国際人権法とは耳慣れない言葉かと思いますが、人権に関する国際法のことで、日本の法制度を考える際に、重要な意義をもっています。日本は、1945年(昭和20年)第二次世界大戦の敗戦後、1951年(昭和26年)サンフランシスコ講和会議で平和条約に調印し、翌52年に同条約が発効し独立を回復しました。そして1956年(昭和31年)国際連合(国連)への加盟が承認され、日本は国際社会への復帰を果たしました。国連は、もともとは第二次世界大戦における連合国だったわけですが、この大戦は全体主義に対抗する連合国による民主主義陣営の戦いという大義名分をもっており、人権擁護は連合国側の主要な戦争スローガンの一つとなっていました。国連の設立根拠となる条約である国連憲章は、平和維持とならんで人権尊重をその目的として掲げ、人権問題は国内問題ではなく、国際社会における共通の課題となったのです。国連総会が1948年(昭和23年)に採択した、すべての人民とすべての国が達成すべき基本的人権についての宣言である「世界人権宣言」は、すべて人は生命に対する権利を有すると生命権を保障し(3条)、世界人権宣言の内容を基礎として条約化された「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」(自由権規約)も、生命に対する固有の権利を保障しています(6条)。これらは、各国に対し、直ちに死刑廃止を法的に義務づけるものではないのですが、死刑の廃止が望ましいことを強く示唆しています。  日本は、国連に加盟し「世界人権宣言」を受け入れ、「自由権規約」を締結しているのですから、法的に直ちに死刑廃止とはならないまでも、生命に対する権利を尊重し、死刑の廃止が望ましいという「価値観」には立っているのです。「生命に対する権利」が奪うことのできない基本的人権であることについては、私の「死刑廃止について全社会的議論を呼びかけます 上」で述べた通りです。

 3 死刑廃止 国際的な潮流 
ところで死刑廃止を法的に義務付ける条約としては、いわゆる「死刑廃止条約」(正式には「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の「第2選択議定書」といいます)が1989年(平成元年)国連総会で採択され、これまで76カ国が締結しています。国連総会本会議は、2007年、2008年、2010年、2012年と連続して、死刑存置国に対し死刑執行停止を求める決議をあげています。 世界的な人権擁護団体であるアムネスティインターナショナルによれば、2012年(平成24年)現在,死刑を廃止又は停止している国(法的に廃止していなくとも、10年以上死刑を執行していない国を事実上の死刑廃止国として加えています)は140カ国、死刑存置国は58カ国です。ヨーロッパはベラルーシを除いてすべて死刑を廃止し、南北アメリカで合衆国は唯一の死刑執行国であり(もっとも合衆国も50州のうち18州が廃止し、実際に死刑を執行したのは9州だけです)、アフリカ連合54カ国中、死刑執行は5カ国のみで37カ国は法律上または事実上死刑を廃止しています。ASEAN(東南アジア諸国連合)では10加盟国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア)のいずれでも、死刑執行はありませんでした。韓国も15年以上死刑の執行を停止し、事実上の死刑廃止国に数えられています。 モンゴルは昨年、死刑廃止条約を締結しました。
 貴殿は、「なぜ、日本社会の価値観を否定してまで、西洋社会の価値観の死刑廃止に従えと言われるのか理解できません。」とのことですが、これまで述べたように、日本は国連に加盟し「世界人権宣言」を受け入れ、「自由権規約」を締結し、生命に対する権利を尊重し死刑の廃止が望ましいという「価値観」に立っているのです。既に死刑を廃止したアフリカの諸国や死刑の執行を停止しているアジアの諸国と同様の「価値観」を、日本も共通にしているのです。
 ですから私は、「日本社会の価値観を否定して」「西洋社会の価値観の死刑廃止に従え」と言っているつもりはなく、世界の諸国と共通の「価値観」に基づいて、日本自らの問題として死刑廃止の議論をしましょうと呼びかけているのです。 

4 公論 
 「自由権規約」を締結している国は、条約に規定された人権実現の義務をどのように履行しているのかについて、国連の規約人権委員会に報告しなければならないことになっています。死刑廃止について日本政府がどのように報告し、どのような勧告を受けているかご存知でしょうか。
 先ほど述べたように、国連からは、死刑存置国に対し死刑執行の停止を求められているのですが、日本政府は、2008年(平成20年)「すべての死刑確定者に対する死刑の執行を一般的に停止することは、現在、国民世論の多数が極めて悪質、凶悪な犯罪については死刑もやむを得ないと考えており、多数の者に対する殺人、誘拐殺人等の凶悪犯罪がいまだあとを絶たない状況等にかんがみると、適当とは思われない。」と述べました。これに対し、規約委員会は、日本政府に対し、「締約国は、世論調査の結果にかかわらず、死刑の廃止を前向きに検討し、必要に応じて、国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである。」と勧告したのです。この勧告の内容に賛成するか反対するかは別として、日本政府は、このような勧告を受けているのですから、少なくとも、日本国内で、死刑廃止について公に議論すべきだと思います。
 ではどのように公の議論を進めるべきでしょうか。
 まず、政府は、主権者である国民に、日本における死刑制度の運用について十分な情報を公開する必要があります。十分な情報が公開されなければ、実りある議論はできません。死刑の執行は、絞首刑によっているのですが、どのように執行されているのか、過去に東京拘置所の刑場が一部のマスコミに公開された程度です。これでは、現在の日本国民の感覚から見て、絞首刑が「残虐な刑罰」(憲法36条が禁じています)に当たるのかどうかとても判断できません。また、どのような基準で死刑執行の対象を選んでいるのかも分かりません。無実を訴えながら死刑が執行され、現在、再審請求中のケースもありますが、何故、その人が執行の対象に選ばれたのか明らかにされていません。精神に障害があり「心神喪失」の疑いのある人が執行されたこともあります。
 また規約委員会の勧告にもあるように、政府は「国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである」であり、国民に対し積極的に広報すべきであると思いますが、とくに公教育(小中学校の義務教育)を通じて国民に知らせることが、公の議論をするうえで重要であると思います。
 ところで日弁連は、「死刑執行停止法案」(http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2008/080313.html)を作成しているのですが、公の議論の進め方として、 ①死刑制度の存廃その他死刑制度に関する事項についての調査を行うため、衆議院及び参議院に、死刑制度調査会を5年間設けること。 ②死刑制度調査会は、死刑制度に関する調査のため、公聴会の開催及び参考人の調査を行い、広く国民の意見を聴取すること。また、調査の経過及び結果について報告書を作成し、各議院の議長に提出すること。 ③死刑制度調査会の設置期間中は、死刑の執行を停止すること。 を提案しています。一度にここまでするのが難しいのであれば、例えば法務省に有識者会議を設置し、死刑に賛成論者、反対論者が会議の構成員として参加し(できるだけ著名な方に参加していただく方がよいと思います)、そこで公の議論をするのもよいと思います。法務省が以前、法務省内で「死刑の在り方についての勉強会」を開催し、死刑存置論者、反対論者からヒアリングしていたのですが、勉強会の構成員は法務省のメンバーだけでした。私は、これでは不十分であると思います。
 以前、民主党は、政策を述べたインデックス2009のなかで、「『終身刑』の検討を含む刑罰の見直し 死刑存廃の国民的議論を行うとともに、終身刑を検討、仮釈放制度の客観化・透明化をはかります。死刑制度については、死刑存置国が先進国中では日本と米国のみであり、EUの加盟条件に死刑廃止があがっているなどの国際的な動向にも注視しながら死刑の存廃問題だけでなく当面の執行停止や死刑の告知、執行方法などをも含めて国会内外で幅広く議論を継続していきます。」と述べていました(今もこの政策なのか疑問ですが)。現在は、自民党政権なわけですが、政党を問わず、「死刑存廃の国民的議論」を行うとともに、「終身刑」の検討を含む刑罰の見直しについて、正面から議論するべきであると思います。公に議論するには、政党や国会議員の役割が極めて重要となり、志のある政治家のリーダーシップが必要であると思います。

 5 世論調査
  貴殿は、「日本では、ここ54年間にわたり9回も繰り返し世論調査をしています。日本国民はすでに死刑制度の維持を決めているのです。人民の意思を無視するのですか。」と述べていますが、私は、死刑制度の廃止については、十分な情報が公開されたうえで、前述したように公の議論をなすべきであると思います。世論調査の結果から、「日本国民はすでに死刑制度の維持を決めている」とは言えないと思います。また貴殿は、「『政治家のリーダーシップによって死刑を廃止すべきで、世論によって決めるものではない』との趣旨と、『日本は民主主義社会であり、自らの問題として考える必要がある』とが矛盾しています。」と述べていますが、民主主義社会において、世論調査の結果は、世論の動向を示すものとして一定の意味があるとは思いますが、世論調査には多くの問題点があり(世論調査の問題点については、「死刑廃止について全社会的議論を呼びかけます 中」で述べた通りです)、これを過大に評価すべきではなく、死刑の存廃は公の議論をへて決定されるべきものであると思います。 

6 死刑のない社会が望ましいこと
 私は、日本弁護士連合会の死刑廃止検討委員会の事務局長をしており、死刑を廃止(停止)している各国の方とお話をする機会があるのですが、「何故日本では死刑制度を維持しているのですか。不思議だ。」という質問を受けることがあります。決して外国(ヨーロッパだけでなく韓国やモンゴル)を真似しろと言っているのではなく、日本は立派な民主主義の国で、人権を尊重すると世界に約束しているのであるから、死刑などという残虐な刑罰を用いなくとも、治安を維持し、被害者を支援していくことは十分可能なはずなのに、何故野蛮な死刑制度を維持しているのか、不思議に思われているのです。 
 貴殿は、「われわれ日本国民は私たちが住みたいと願う社会の価値観に従い、人権を尊重しながら繰り返し死刑制度について考えた結果、死刑制度の維持を決めたのです。」と述べています。私も、被害者のご遺族が犯人に対し死刑を望んでも自然な感情だと思いますが、被害者・加害者という立場とは別に、この社会をどういう社会にしていくのかを考え、決定していく市民の立場というものがあります。どういう社会にすみたいのか(残虐な社会や、暴力が暴力を生むような社会ではなく寛容な社会が望ましいこと)、どうしても死刑制度が必要なのか(死刑に他の刑罰と比べて、特有の強烈な威嚇力があることは全く立証されていません。 また誤判の危険性は人間の行う裁判においては避けられないものですが、死刑制度が存在する限り、かけがえのない生命を誤って奪う危険性は常に存在しています)、死刑制度を維持することによる弊害はないのか(死刑になりたくて殺人事件を犯す例もまま見られます。死刑制度があることによる裁判、弁護、執行に要する社会的なコストは相当高額なものだと思われます)などを、冷静に考える必要があると思います。
 最近、日弁連では、「死刑廃止について議論をはじめましょう」と題するパンフレットを作成しました(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/shikeihaishi_pam_2013.pdf)。
 そこには、「死刑のない社会が望ましいわけ ~ 私たちの社会のあり方 ~」として、「死刑はかけがえのない生命を奪う非人道的な刑罰であることに加え,罪を犯した人の更生と社会復帰の観点から見たとき,その可能性を完全に奪うという問題点を内包しています。私たちが目指すべき社会は,すべての人々が尊厳をもって共生できる社会ではないでしょうか。そこでは,罪を犯した人も最終的には社会が受けいれる可能性を完全に排除してはならず,かつ犯罪被害者の社会的・精神的・経済的支援を充実化させなければなりません。ヨーロッ諸国は,犯罪被害者を手厚く支援し,かつ死刑を廃止しています。すべての人々が尊厳をもって共生できる社会にとって,被害者の支援と死刑のない社会への取組はいずれも実現しなければならない重要な課題なのです。 」と記載されています。
 ご一読いただければ幸いです。
以上 

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