本当に日本には死刑は必要なの?

「日本の死刑廃止を考える 死刑か仮釈放のない終身刑か」法律新聞2055号

りす

日本の死刑廃止を考える 死刑か仮釈放のない終身刑か

小川原優之弁護士(第二東京弁護士会)

週刊法律新聞第2055号 平成26年(2014年)8月8日

 

1 はじめに

 日本では死刑の執行が続いています。一昨年2012年は民主党政権により7名に対する死刑が執行され、昨年2013年は自民党政権により8名に対する死刑の執行が行われ、今年2014年も既に1名に対する死刑の執行が行われました。しかし袴田事件や飯塚事件の再審請求を通じて、死刑制度の弊害は益々明らかになってきています。

 またいわゆる先進国グループであるOECD(経済協力開発機構)加盟国(34か国)の中で死刑制度を存置している国は,日本・韓国・アメリカの3か国なのですが、韓国は死刑の執行を16年間停止しており、実際に死刑を執行しているのは日本とアメリカの2カ国だけです。しかもアメリカは50州のうち18州は死刑を既に廃止しており、死刑を国家として統一して執行しているのは日本だけになってしまいました。

 私は、日本弁護士連合会(日弁連)死刑廃止検討委員会の事務局長をしているのですが、日弁連は、死刑のない社会が望ましいことを見据えて死刑廃止について全社会的議論を行うことを呼びかけており、2012年には韓国、2013年にはアメリカテキサス州、2014年にはアメリカカリフォルニア州の調査をしてきました。

 ここではその調査結果を踏まえて、日本の死刑廃止について考えてみたいと思いますが、以下に述べることは日弁連の意見ではなく、あくまでも私見であることをお断りしておきます。

 

2 「死刑か仮釈放のない終身刑か」が問われている

(1)韓国

  韓国では1998年から既に16年間も死刑の執行が停止されており、10年以上死刑の執行がないことから事実上の死刑廃止国であると言われています。その韓国でも、死刑廃止法案は成立していません。何故でしょうか。様々な死刑廃止法案が提案されているのですが、死刑存置を望む世論が平均すると6割程度はあり、簡単には韓国の議会を通らないようです。そこで現実的な法案として、死刑を廃止して仮釈放のない終身刑を導入する案が有力であるとのことでした(日弁連報告書「死刑制度に関する大韓民国調査報告書」参照)。

(2)テキサス州

   他方、テキサス州では、毎年死刑が執行されています(2012年9名、2013年16名)。アメリカで最も多く死刑が執行されている州の一つです(アメリカ全体の2012年の死刑執行数43名、2013年の死刑執行数39名)。そのテキサス州では死刑に加えて2005年から、仮釈放のない終身刑が導入されています。詳しくは私の「アメリカ(テキサス州) 終身刑調査報告」法律新聞1998号を読んでいただきたいのですが(http://www.morino-ohisama.jp/blog/2013/06/post-63.html。日弁連報告書「テキサス州終身刑調査報告書」参照)、仮釈放のない終身刑を導入した動機は「死刑事件については陪審員に対して,選択する刑種が多くあった方がいいと思った」ことや、被害者遺族にとっては「被告人が社会から確実に隔離されること」が重要であり、「終身刑は被告人を確実に社会に戻さない制度である」からとのことでした。立法にいたるまでには複雑な背景があるのですが、テキサス州で終身刑法案が実現した現実的な理由としては、アメリカでは、死刑事件について通常の刑事事件に比べてスーパーデュープロセスと呼ばれる手厚い適正手続の保障が必要とされており、そのため時間とコストが非常にかかることから、仮釈放のない終身刑の方が安上がりであるとの配慮が働いたようです。

 アメリカではえん罪の問題やコストの問題から死刑判決や執行数は大きく減っているのですが、検察官や弁護士は、仮釈放のない終身刑が導入され死刑が減ったと言っていました。

(3)カリフォルニア州

  またカリフォルニア州では、2007年から死刑は執行されていませんが、死刑確定者は700人以上います(2013年731名)。仮釈放のない終身刑も既に導入されているのですが、2012年に「死刑か仮釈放のない終身刑(受刑者から被害者遺族への賠償付き)か」が州民投票にかけられ、その結果は、死刑52%、仮釈放のない終身刑48%と接戦でした。州民投票を求めた人たちの話では、市民に対し、死刑制度の維持は非常にお金がかかる、仮釈放のない終身刑にして余ったお金を被害者遺族の支援や犯罪対策にあてるべきであると訴えかけたそうです。

 また今後、カリフォルニア州では死刑の執行が行われることはなく、10年以上死刑の執行のない事実上の死刑廃止州になるであろうし、次の州民投票では死刑廃止が州民投票で可決されるのではないかとのことでした(日弁連報告書を現在作成中です)。

 

(4)日本の現実

このように事実上の死刑廃止国であり死刑廃止法案を可決しようとしている韓国でも、死刑の執行を繰り返しているテキサス州でも、死刑の執行を停止し死刑廃止を目指しているカリフォルニア州でも、「死刑か仮釈放のない終身刑か」が問われているのです。

 また「死刑か仮釈放のない終身刑か」は制度としての死刑を廃止するかどうかという場面で議論されているだけでなく(韓国やカリフォルニア州)、量刑の場面でも議論されており、死刑判決を減らす結果となったと言われています(テキサス州)。

 では日本ではどうでしょうか。実際に死刑制度をなくすには政府(法務省)や与党(自民党・公明党)に説明し、説得する必要があるわけで、私もいろいろな方にお会いするのですが、お会いしていて感じることは、死刑廃止や執行停止そのものをテーマとしても、残念ながら全く反応することはないということです。そして必ず世論調査の結果、多数の国民が死刑制度を支持しているとの意見が出てきます。やはり日本でも、韓国やアメリカと同様、「死刑か仮釈放のない終身刑か」を問うことが、現実的な選択であると思います。

 ただこう言ったからといって、死刑が既に廃止され仮釈放のない終身刑についても批判的なヨーロッパからの声に耳を貸さないというのでは全くありません。死刑廃止の議論が高まれば高まるほど、むしろ死刑廃止の声が高まってこそ、「死刑か仮釈放のない終身刑か」という問いが現実味を持つのです。

 

3 日本の場合について

(1)仮釈放のない終身刑にすれば死刑制度の弊害をなくすことができる 袴田事件と飯塚事件

 まず当然のことですが、死刑をやめて仮釈放のない終身刑にすれば、死刑制度の弊害をなくすことができます。

 2014年3月27日,静岡地方裁判所は,袴田巖氏の再審請求について,再審を開始し,死刑及び拘置の執行を停止するとの決定を行いました。しかしテレビでご覧になった方も多いと思いますが、死刑が確定してから再審開始決定がでるまで33年間という極めて長期間、死刑執行の恐怖の下で身体を拘束されてきた結果,その心身を病んでしまいました(逮捕から釈放までの期間は48年に及びます)。そしてもし今回の決定がなかったならば,無実の袴田氏に対する死刑執行の恐怖は現在も続いていたはずですし、万一、法務大臣の恣意的な判断で袴田氏に死刑の執行がなされてしまったら,まさに取り返しがつかないことになっていたことでしょう。

 これは一般的なえん罪の問題というにとどまらず、死刑制度があることによる弊害です。仮に袴田氏が仮釈放のない終身刑であったとすれば、勿論、えん罪からの救済は図られるべきですが、死刑執行の恐怖のなかで困難な再審請求を強いられることはないのです。

 他方、2014年3月31日、飯塚事件について久間三千年氏のご遺族からの再審請求が棄却されました。久間氏は逮捕後一貫して無実を主張しつづけ、死刑が確定した後も、再審請求の準備中だったのですが、死刑確定後2年を経過した2008年に法務大臣の恣意的な判断で死刑が執行されてしまいました。仮に久間氏が仮釈放のない終身刑であったとすれば、困難ではあっても粘り強くえん罪を晴らすための努力を継続することができたのに、拙速な死刑の執行がなされたことにより十分な再審請求をすることができなかったのです。袴田氏は死刑確定後33年に及ぶ再審請求により再審開始決定を得ることができましたが、久間氏は死刑確定後わずか2年で、法務大臣の恣意的な判断により死刑が執行されてしまったのです。

 死刑確定者の死亡後も遺族による再審請求は法律上は可能ですが、再審開始決定を得ることが一層困難になることは明らかです。やはり無実を訴えている死刑確定者本人による再審を求める権利が保障されるべきであるにもかかわらず、死刑制度が存在し死刑が執行されたことによって不当に侵害されているのです。

 このように死刑制度の弊害は、無実の人を誤って死刑執行した場合取り返しがつかないことだけではありません。長期間、死刑執行の恐怖の下で再審請求を強いられることにより心身を病んでしまうことや、無実を訴えている死刑確定者本人による再審を求める権利が保障されるべきであるにもかかわらず、死刑の執行によりその権利を奪われてしまうことも、死刑制度の弊害と言うべきです。

 この弊害を除くには、制度としての死刑を廃止するしかないのです。仮釈放のない終身刑であれば、このような弊害はありません。

 

(2)仮釈放のない終身刑でも、死刑と同様に、市民に対し安心感を与えることができる

ア テキサス州でもカリフォルニア州でも、このことを繰り返し聞かされました。

 たとえばテキサス州の終身刑法案は、当初、死刑、仮釈放のある無期刑に加えて、仮釈放のない終身刑を提案するものだったそうです。しかし、この法案は通らず、結局、死刑と仮釈放のない終身刑だけの法案にして可決されたそうです。前述したように被害者遺族にとっては「被告人が社会から確実に隔離されること」が重要であり、「終身刑は被告人を確実に社会に戻さない制度」と考えられています。恩赦という制度も存在しているようですが、実際に恩赦になった例について報告を受けることはできませんでした。

 またテキサス州では仮釈放のない終身刑の受刑者が12人収容されているウィン刑務所を視察したのですが、中はとても広くて工場や農場もありました。終身刑受刑者も一般の受刑者と一緒の処遇であり、中級クラスの拘禁レベルだそうですが、刑務所の外に出る開放的な処遇は許されないとのことでした。

 またカリフォルニア州でも一般の受刑者の他に仮釈放のない終身刑受刑者を収容しているサン・クエンティン刑務所を視察したのですが、広いグランドがあり、多くの受刑者が一緒に様々な運動などをして過ごしていました。

 結局、仮釈放のない終身刑とは、広い刑務所の中で、ある程度の自由はあるものの、外には出られない制度なのであり、そして外には出られない制度であるからこそ、被害者遺族や市民に対し安心感を与えることができ、死刑の代わりになり得るというのです。

 「仮釈放のない終身刑でも、恩赦があるから大丈夫」などという説明は全く聞くことができませんでした。

イ 日本の場合、仮釈放のある無期刑の収容者数は2012年で1800人位です。法律上は10年を経過した後仮釈放することが可能となっているのですが、実際に仮釈放の許される数は例年一桁であり(2010年9名、2011年8名、2012年8名)、仮釈放を許された無期刑受刑者の在所期間の平均は、2012年で31.7年になっています。

 他方、死亡した無期刑受刑者の数は2010年21名、2011年21名、2012年14名ですから、仮釈放にならないまま死亡する人の方が多いのです(「死刑存廃を巡る諸論点」札幌弁護士会死刑廃止検討委員会。110頁以下)。

 日本の仮釈放のある無期刑は、法律上は仮釈放があるものの、仮釈放になるのは年間ほんの数名であり、仮釈放になる受刑者の数よりも仮釈放にならないまま死亡する受刑者の数の方が多く、運用によって仮釈放のない終身刑と化しているのです。

ウ では日本ではもはや仮釈放のない終身刑を導入する必要はないのでしょうか。

 私は、そうは思いません。法律上仮釈放があれば、被害者遺族や市民は、やはり安心できないでしょう。他方、無期刑を言い渡された人でも、十分に反省し社会復帰可能な人もいるはずであり、そのような人はむしろ早期に仮釈放されるべきです。現在の仮釈放のある無期刑は、このいずれの要請にもこたえられていないのです。

 仮釈放のある無期刑と仮釈放のない終身刑の両方が必要であり、仮釈放のない終身刑ならば死刑に代替しうるのです。

 恩赦という制度は、すべての刑罰が対象となりますから、仮釈放のない終身刑受刑者も対象となるわけですが、実際には相当に困難なことと思われます。前述したように、二度のアメリカ調査の中で、仮釈放のない終身刑の受刑者が恩赦で外に出たという報告を聞いたことはありません。日本でも刑罰全般について、恩赦制度は十分に機能していないのではないでしょうか。その意味では恩赦制度の改革が必要ですが、これは仮釈放のない終身刑だけの問題ではなく、刑罰全般にかかわる問題です。

 

(3)被害者遺族にとっても、死刑より仮釈放のない終身刑の方が、早期に事件を「終結」させることができる

ア アメリカでよく聞く言葉にCLOSUREロージャー)という言葉があります、死刑が執行されることによって、犯罪被害者遺族は事件に「幕引き」をすることができ「終結」させることができると言うのです。ところが、これは事実ではないと批判されていました。アメリカでも日本でもそうですが、死刑事件は被告人・弁護人が強く争うことから、裁判が長期化し、判決までに時間を要するだけでなく、死刑判決が出た後も、様々な争い方をすることから、実際に死刑が執行されるまで、20年も30年もかかり、その間、被害者遺族は「終結」することができないまま、事件に長い年月関わり合わざるを得なくなってしまうと言うのです。

 仮釈放のない終身刑であれば、早期に「終結」させることができるのであり、その方が良いと述べている被害者遺族もいました。

イ 日本ではどうでしょうか。

 谷垣法務大臣の2014年3月14日の国会答弁によれば、3月13日現在未執行の死刑確定者の人数は131人であり、そのうち再審請求中の者の人数は89人、死刑判決確定日からの平均収容期間は約8年5カ月、平成16年から平成25年までの間で死刑が執行された人数は55人、執行された者の死刑判決確定日から執行までの平均期間は約5年6カ月とのことです。最近は判決が確定してから執行されるまで1年数か月という例もあり、それを含めての平均ですから、実際にはもっと長期間争い続けている死刑確定者が多くいるものと思われます。

 もし死刑ではなく仮釈放のない終身刑であれば、そのような争い方は減り、裁判の期間は短縮され、刑が確定することによって、被害者遺族も早期に事件を「終結」させることができます。

 

(4)死刑より仮釈放のない終身刑の方が、被害者遺族への贖罪ができる

 終身刑受刑者が広い刑務所の中で働いて、そこで得たお金の一部を犯罪被害者への賠償に充てる制度も考えられて良いと思います。

 日本にはアメリカのように犯罪者が納付する特別賦課金等を原資とする犯罪被害者基金のような制度はありませんが、「財政難の折、日本でも、罰金や作業報奨金などを原資とする被害者基金が検討されてよい」との見解が有力に主張されています(「いま死刑制度を考える」慶應義塾大学出版会。「被害者支援と死刑」太田達也教授P152)。

 私も、そう思います。

 

(5)終身刑の方が、実際には死刑よりコストが削減されるのではないか?

ア 時々、被害者遺族の方から、終身刑に反対する理由として、「被害者は自ら支払う税金で殺人者を養っているのを腹立たしく思っている」と言われることがあります。確かに死刑を望んでいる被害者遺族の方からすれば、死刑制度を維持するためには税金を支払っても、終身刑のためには税金を支払いたくはないかもしれません。

 しかし一般の市民を前提に考えた場合、弊害の明らかな死刑制度をなくし、死刑と同様の安心感を与えてくれる仮釈放のない終身刑を導入してもコストが増えない(むしろ減る可能性がある)とすれば、仮釈放のない終身刑に賛成するのではないでしょうか。

イ 一体、死刑と仮釈放のない終身刑とどっちがコストがかかるのでしょうか?このような研究はなされているのでしょうか。

 慶應義塾大学中島隆信教授によれば、「犯罪を抑止するために罰則は必要である。しかし、世の中の資源には限りがある。・・実証研究の意義は罰則強化が社会全体の資源配分の効率化につながっているか検証しようとした点にある。それに比べ、これまでの日本の研究は抑止力の有無を確かめるだけにとどまっており、資源配分の是非を問う真の意味での実証研究にはなっていない。・・日本ではマスコミの報道の影響もあって実際の治安と体感治安のギャップが大きく、それが大衆の犯罪不安を呼び、厳罰化の傾向が進みつつある。しかし、罰則の強化やそれに伴う仮釈放率の低下が実際に犯罪認知件数にどのような影響を与えているかを検証する実証分析は筆者の知る限り存在しない。その一方で、国連から日本に死刑廃止の勧告が出されたこともあり、死刑を廃止し終身刑を導入すべきという意見も根強い。終身刑導入の経済学的な根拠は、終身刑が有意な犯罪抑止力を持っていることである。無力化効果のみの場合、高齢化による犯罪能力の低下のため終身刑はコスト高になる。こうした計算例もこれまで見かけたことはない。犯罪は正義にかかわる問題として経済学的な分析を好ましく思わない人たちが多いことも事実である。もちろん、経済学の視点に基づくコスト・ベネフィット分析だけですべての政策を決めていいわけではない。一方で、データに基づく客観的な分析なしに、法律が改正されていくことの恐ろしさもわれわれは認識しておくべきではないだろうか」(「持続可能な刑事政策とは」所収「経済学の視点から見た刑事政策」現代人文社71頁)とのことであり、実証的な研究はなされていないようです。

 死刑と仮釈放のない終身刑とどっちがコストがかかるのかは、今後実証的な研究が積み重ねられるべきテーマなのだと思います。

ウ ただ2014年4月7日に放送された「ビートたけしのTVタックル『死刑制度を考える』」で坂本敏夫元刑務官は、ご自分の経験から「受刑者は働いて国庫に100万位いれている。死刑囚には70万位かかる。働かせる方がいい。」と発言していました。働かないでいる死刑確定者より、働く受刑者の方が国庫の負担が軽いという趣旨です。

 すぐに死刑を執行すればコストはかからないだろうという乱暴な意見もあるかもしれませんが、しかしこれはえん罪の問題や、再審に時間を要することを考えれば、現実的な意見ではありません。死刑確定者の処遇はどうしても長期化するのであり、その間のコストは、坂本氏の指摘するように受刑者以上に(仮釈放のない終身刑以上に)かかることになります。

 また私は再審請求にも国選弁護制度が認められるべきである、少なくとも死刑確定者の再審請求の場合には、誤った執行のおそれを少しでも減らすため国選弁護制度が是非とも必要であると思います。この場合、国選弁護費用も国庫の負担となります。

 まして現在仮釈放のある無期刑は運用によって仮釈放のない終身刑化しています。仮釈放すべき無期刑と仮釈放のない終身刑を制度上はっきりわけ、仮釈放のある無期刑については早期の仮釈放を実現し、仮釈放のない終身刑は死刑の代替刑であることを明確にする方が、国庫の負担は減ると思います。

 

4 あらためて「死刑か仮釈放のない終身刑か」を考える

 アメリカの刑務所を視察していて感じることは、仮釈放のない終身刑は、広い刑務所のなかである程度自由はあるものの、生涯、刑務所の外へは出られない制度であるということです。坂上香監督の「Lifersライファーズ 終身刑を超えて」をみても、いかに外へ出ることが困難であるかがよく分かります。

 他方、私が日本で死刑確定者と接見していて感じることは、狭い独房に昼夜一人きりで生活させ、毎日死刑執行の恐怖におびえながら(運良く死刑の執行がなされなかったとしても)生涯を過ごさせる制度だということです。

 以前、本物の刑務所で、実際の受刑者たちがシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」を演じる映画(「塀の中のジュリアス・シーザー」)をみました。イタリアのレビッピア刑務所(重刑犯罪人を収容する刑務所)で、受刑者のなかには終身刑の人もいて、演劇を受刑者の矯正プログラムとして活用しているようです。2012年ベルリン国際映画祭金熊賞グランプリをとった作品です。

   終身刑の受刑者が、演じおえて、独房にまた戻されるのですが、日本に比べれば広い房のなかで、一人エスプレッソをいれる準備をしながら、「芸術を知った時から、この監房は牢獄になった」とつぶやきます。

  まったく日本の刑務所では考えられないような映画なのですが、多様な終身刑をみることはできます。

 死刑ではなく、仮釈放のない終身刑を日本でも採用するべきであると考えます。

                                   以上

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