「謹賀新年 今年こそ、死刑廃止についての全社会的議論を」 法律新聞第2076号

2015年01月13日

謹賀新年 今年こそ、死刑廃止についての全社会的議論を 
法律新聞 平成27年(2015年)1月9日第2076号

弁護士小川原優之

 「地球儀を俯瞰する外交」がいわれているが、世界を見渡してもいわゆる先進国のうち死刑を執行しているのは、わが日本とアメリカのいくつかの州(50州のうち9州)だけになってしまった。昨年は袴田事件で再審開始決定がなされたが、何十年も死刑執行の恐怖の中で再審請求を強いられたことにより、袴田巌さんはすっかり心身を病んでしまった。また昨年のことではないが、飯塚事件では無実を主張し再審請求の準備をしていた久間三千年(くまみちとし)さんが、再審請求で無罪になるまでには何度も棄却され何十年もかかるのが日本では通常であるのに、確定後わずか2年で死刑を執行されてしまっている(2006年に死刑確定、2008年に死刑執行)。
 日本には死刑に限らず多くの誤判がある。誤判があるからといって死刑廃止を主張するのは短絡だとの意見があるが、誤判によって死刑の執行をしてしまえば、国家の制度として無実の人を殺したことになる。無期懲役刑で無実の人を刑務所に入れた場合、無罪が明らかになれば刑事補償をすることになっているが、殺してしまった場合、どうやって償うのか。誤判が起こらないようにすればよいという意見は、神様でない人間が裁判を行っているのであり誤判を避けることはできないことを本当は承知していながら、あたかも可能であるかのように嘘をついているのである(原発安全神話と同じような、誤判回避可能神話とでもいおうか)。このまま死刑制度を放置していれば、いつか誤って死刑を執行してしまったことが再審裁判で明らかになる事例も出てくるだろう。死刑存置論者は、その時まで死刑制度を維持しよう、そうなってはじめて死刑を廃止しよう、いやそうなっても死刑制度を廃止したくないと言うのが本音かもしれない。
 実は日本では、既に1980年代に4件も死刑確定者が再審により無罪となった。あの時に死刑制度を廃止していれば、今日の袴田事件や飯塚事件の悲劇は避けられたのである。何も死刑だけが刑罰ではない。死刑の代わりに仮釈放のない終身刑に置き換えていれば、袴田さんは懲役囚として工場で他の受刑者とともに作業しながら、再審請求をすることができた。また久間さんは、再審請求の準備中に命を奪われることはなかったのである。死刑存置論者は、この袴田事件や飯塚事件をどう思うのだろう。やむを得ないというのだろうか。しかしこのまま死刑制度を放置すれば、将来第2、第3の袴田事件、飯塚事件が起こりうる。今われわれが、死刑制度を廃止すれば、将来起こりうる悲劇は避けられるにもかかわらずである。
 繰り返しになるが何も死刑だけが刑罰ではない。死刑の代わりになりうる刑罰として、仮釈放のない終身刑がある。日本と同様に死刑制度のあるアメリカでは、ほとんど全ての州に仮釈放のない終身刑がある。日本では、制度上、10年を経過すれば仮釈放の可能な無期刑があるが、実際にはほとんど仮釈放は認められず、仮釈放のない終身刑化している。私は、日本でも仮釈放のない終身刑を導入すれば、一方では死刑の代替刑となりうるし、他方では仮釈放のある無期刑の適正な運用を可能にできると考える(仮釈放可能な人は、早期の社会復帰を実現させるべきである)。
  たとえは悪いが死刑制度はいわば劇薬であり、しかも袴田事件や飯塚事件を通じて弊害の明らかになっている劇薬である。他方、同じような劇薬ではあるものの、仮釈放のない終身刑ならば、このような悲劇は避けられる。被害者ご遺族の死刑制度を残したいというお気持ちは理解できるが、制度としての弊害が明らかである以上、制度そのものを廃止するしかないのである。
  また死刑制度のないヨーロッパでは仮釈放のない終身刑廃止の議論があることは承知しているが、日本には死刑制度があり、このまま放置すれば悲劇が繰り返される。死刑と同じような劇薬ではあるものの、死刑制度のある日本では、仮釈放のない終身刑の導入に踏みきらざるを得ないと考える。
  死刑制度の廃止を国民が議論するためには、政府による情報の公開が必要であり、すくなくともマスコミ関係者が死刑執行に立ち会うことができ、国民に絞首刑がどのようなものなのか伝えられる必要がある。2020年には日本でオリンピックが開催される。各国首脳が、死刑のある日本での式典には参列しないというような不名誉な事態とならないよう、それまでには少なくとも死刑の執行を停止したいものである。

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