過去最大規模で第4回死刑廃止世界大会開催 CPR事務局長・弁護士・田鎖麻衣子

2010年11月09日

 2010年2月24日から3日間、スイス・ジュネーヴにおいて第4回死刑廃止世界大会が開催され、私は監獄人権センター(CPR)事務局長として、事務局スタッフの松浦亮輔さんと共に参加した。主催団体はパリに本部を置く非政府組織ECPM(Encemble Contre la Peine de Mort=日本語では「共に死刑に反対を」の意)、CPRが参加する世界死刑廃止連盟(World Coalition Against the Death Penalty, WCADP)が共催団体である。大会は2001年の第1回(ストラスブール)から3年ごとに開催され、そのたびに充実度を増してきたが、今回は地元スイス連邦の後援のほか、欧州連合からも全面的な支援を受け、世界の100を超える国と地域から1900名以上が集まる過去最大規模のものとなった。
 今大会は、国際社会における死刑廃止の潮流が揺るぎないものであるという事実に加え、その流れに逆行する日本という国がいかに特異な存在であるかを如実に示した。開会式は人権理事会による普遍的定期的審査(UPR)や規約人権委員会による日本政府報告書審査が行われたのと同じ、国連欧州本部(パレ・デ・ナシオン)の中の大きな会議場で行われた。世界中から集った人権活動家たちを前に、ここでスピーチをした主要な面々を紹介すると、スイス連邦議会(国民院)議長、国連欧州本部事務局長、欧州評議会議員、フランス・アルゼンチン・ベルギー・ルクセンブルク・イタリア・ノルウェーの政府代表者、ロベール・バダンテール氏(フランス元老院議員、ミッテラン政権の法相としてフランスの死刑廃止を実現)そして現EU議長国であるスペインのサパテロ首相、という具合である。前回のパリ大会では当時EU議長国であったドイツのメルケル首相のビデオレターが上映された記憶があるが、今回は本物のEU議長国元首がNGOの会議にやってきたのである。
 サパテロ首相は、2015年までに世界のモラトリアム(死刑執行停止)を達成するという大きな目標を掲げ、スペインが議長国任期終了後も世界の死刑廃止運動においてリーダーシップをとっていく決意を明らかにした。スペインは既に2008年6月、死刑廃止に積極的に取り組むことを宣言しているが、現在、このモラトリアムプロジェクトを遂行するためにアジア(おそらくは日本も)を含め世界から権威ある人材を集めた諮問機関を設置する準備を進めており、秋にも人選が整い活動が開始される見込みだ。また今年は、2年ぶり3度目のモラトリアム決議が国連総会でなされる予定の年でもあり、イタリアからは、従前よりさらに踏み込んだ内容の決議を提案していく方針が表明された。
 もちろん開会式が豪華になっただけではない。率直なところ、アジアからの参加者が日本とインドのみに限られていた第1回大会では、日本の死刑に対する知識と関心が広がっていなかったこともあり、日本は大きく注目されたが、その後、アジア各国とりわけ中国からも人権活動家が参加するまでになり、日本は重要なターゲットではありつつも、相対的に、突出した対象ではなくなっていた。ところが、アジアでも死刑執行の全般的な減少傾向が続き(とくに韓国や台湾の執行停止状態にある中~台湾ではその後4月30日、約5年5カ月ぶりに4名に対し執行がされてしまったことは周知のとおり~)、今年1月にはモンゴル大統領が死刑廃止に向かうことを宣言した。さらには日本とならぶ「先進民主主義」死刑存置国アメリカですら、前回の大会以後、2007年末にはニュージャージー州が、2009年にはニューメキシコ州が新たに死刑を廃止し着実に廃止に向けて前進を遂げており、死刑判決・執行数ともに減少傾向にある。これに対して、日本では、前回大会以降も死刑判決・執行ともに増え続け、政権交代によっても死刑廃止はおろか執行停止に向けた動きがみられない。とりわけEUはじめ欧州の人々にとって、昨年9月の千葉景子法務大臣の就任は大きな期待をもって受け止められた。それだけに、その後、死刑に関しては何の動静も伝わってこないことは―内閣府による85.6%が死刑を支持という世論調査以外は―、まさに不可解極まりない事態である。こうした状況において、日本に対する注目は、再び大きく高まっていたのである。
 日本からの参加者が少ないという事情から、私は幸運にも第二全大会の場でスピーチをする機会を得た。ディスカッションのテーマは「世界的死刑廃止に向けた次なる挑戦:イラン、中国、米国そして日本」。世界の死刑廃止を実現するカギを握ると目された4カ国の中に、日本が含まれているのだ。同じ発言席には、イラン出身のノーベル平和賞受賞者・シリン・エバディ氏や、世界的に著名な犯罪学者で死刑研究の著作も多いロジャー・フッド教授、ニューメキシコ州で死刑廃止の実現に尽力した下院議員らがいた。私たち発言者には、それぞれの国における実情をふまえ、死刑廃止に向けた展望を明確に述べることが求められていたが、これはかなりの難問であった。
 私は、まず、昨年7月末以降、死刑執行のない状態が決して「事実上のモラトリアム」とは評価できないことを明確に述べ、死刑に関する議論や情報の公開という面ですら、何の進捗もないどころか、大臣が世論調査の結果について問われ、「国民の大きな意思は尊重しなければならない」と発言したことを紹介した。そして、一般的な受け止め方とは裏腹に、日本において凶悪犯罪の増加という事実はなく、2009年中の殺人認知件数は戦後最低記録を更新し、日本は今でも世界でもっとも安全な国であること、にもかかわらず、こうした重要な情報はマスメディアによってほとんど取り上げられず、逆に読者の不安をあおるような記事ばかりが大きく掲載され、テレビではセンセーショナルな報道が繰り返される結果、8割を超えた「場合によっては死刑もやむを得ない」との支持率が作られていることを指摘した。つまり、「世論調査の結果にかかわらず、死刑の廃止を前向きに検討し、国民に対して死刑廃止が望ましいことを知らせるべきだ」という規約人権委員会による勧告とは、まったく正反対の状況だということである。
 さらに、7月の参議院選後には法務大臣の交代も予想されること(これは諸外国の人たち非常に驚く点のひとつである)、死刑の運用は、いまだに法務大臣ではなく法務官僚すなわち検察官のコントロール下にあること、よって廃止のためにはまず、検察による独占的支配―情報統制も含めて―から死刑制度を解き放たねばならないことを強調した。
すなわち日本国憲法は残虐な刑罰を絶対に禁止し、また日本が批准する国際人権(自由権)規約、さらには拷問等禁止条約も拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を禁止するが、日本で現に行われている絞首刑の残虐性を検証するに足る情報はまったく開示されていない。現行の絞首刑による執行方法を定めているのは明治六年太政官布告第65号であり、死刑囚の足元の床が割れて身体が下に落ち、同時に首にかけられた縄が瞬時に締まる地下降下式というものである。ところが、この方法では落下時に大きな重力がかかるため、体重に比して縄が長すぎると首がちぎれるおそれがある。現に明治時代の執行例には、不完全ではあるが首が切断される例があったことが確認されている(この議論の詳細については後藤貞人「本当に絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?」(現代人文社「季刊刑事弁護」第61号)を参照されたい)。大多数の人々は、死刑についての具体的知識をまったく持たないまま、ごく抽象的に、「人の命を残虐に奪った者に対しては死刑もやむを得ない」と考えるわけだが、仮にこのような実態を知ったとき、多くの人は死刑は残虐な刑罰であると感じないであろうか。そもそも、140年近くにもわたって基本的執行方法が変わらないなどということが、真に民主的な国家であれば、およそあり得ないことである。
 日本は「民主国家」とされているが、他方で公職選挙法により戸別訪問は禁止され、政治的主張を記載したビラを集合住宅で配布しようとすると住居侵入で逮捕・勾留・起訴までされて有罪となる国である。NGOによる調査もまた、人々の知る権利に寄与する重要な活動であるが、調査捕鯨における鯨肉横領問題を告発したグリーンピース・ジャパンのスタッフは、逆に証拠品を確保した行動が『窃盗』だとして逮捕・起訴された。日本は、民主主義の基盤である表現の自由が極めて軽んじられている社会である。さらに、情報の自由な流通は民主主義の健全な過程に不可欠のものであるが、死刑問題に限らず、情報公開の面でも著しく遅れている(ちなみに刑務所や拘置所が保有する情報は、被収容者本人の求めであっても、行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律の適用除外規定を理由に開示されない。私は理屈で負けるわけがないと最高裁まで行政訴訟を争ったが、日本の裁判所には通用しなかった)。重要な情報が、政府によって管理され、一般市民に知らされることがない。
 死刑制度に関して私たちが直面している問題は、少し考えてみればわかるように、日本社会に普遍的な問題なのである。
 同席していたシリン・エバディ氏は、イランにおける深刻な人権侵害とその究極である死刑の実情について訴えたあと、発言の最後を次のようにしめくくった。「イランに民主主義が訪れるとき、死刑は廃止される」。エバディ氏もまた民主主義という観点から死刑をとらえたことは、決して偶然ではない。日本はマイノリティーや社会的弱者に対する権利侵害がいまだに横行している社会であり、刑事施設はその縮図ともいえる。しかし、真の民主主義とは、少数者の人権を含めた人権保障なくしてはありえない。そして、もっとも基本的な人権である生命に対する権利を否定する死刑制度は、本来的に民主主義と相いれないものなのである。
 欧州評議会は、「死は正義ではない」と題するブックレットの中で、次のように述べている。
「死刑はしばしば他の社会問題や社会的背景から切り離された別の問題として議論され、独立して評価される。これは誤解を招くものだ。死刑を廃止するか維持するかの選択は、私たちが住みたいと願う社会の種類と、その社会を支えている価値の選択でもある。死刑の廃止は人権・民主主義・法の支配の理念によって特徴づけられる一まとまりの価値の一部である。」この記述は、死刑廃止運動が、人権をまもるための様々な取り組みから切り離されがちな日本においては、とくに重要な意味を持つ。死刑は最大の人権侵害であり、進む厳罰化の究極のかたちであり、社会からの排除を徹底した制度である。だからこそ私たちは、広汎な分野での人権運動や差別・貧困とのたたかい、厳罰化に正面から異を唱える仲間たちとともに、共通の「ひとまとまりの価値」を追求していく必要がある。その過程において、死刑廃止の意思を少しずつではあっても、着実に大きくし、かつそれを現実化していくことができるのである。
 他方、世界が日本について注目するもうひとつのポイントは、裁判員制度が死刑に与える影響がある(私は、大会中に鳥取地裁で死刑判決が出ることを予想して日本を出たが、幸いに求刑は無期であり、判決も無期となったため、急きょ予定原稿を書き直した)。裁判員制度の導入によって、死刑をはじめとする刑罰制度への市民・メディアの関心が確実に高まっているということは事実である。市民が死刑制度と向き合わざるを得なくなる今、私たちはたしかに大きな危険にも直面しているが、同時にこの時期を最大限に生かして現行の刑罰の在り方を問い直し、死刑制度への疑問の声を大きくしていかなければならない。その意味で、刑罰改革に取り組んできた専門NGOとして、監獄人権センターの役割はますます重要になってきているといえ、政府・国会・メディアへの働きかけをさらに強めていく必要がある。
 今ではインターネットを通じて世界の情報が瞬時に把握できるが、細かい背景や実情は、やはり顔をつきあわせて話してみないとわからない。世界大会は今や、日本など死刑存置各国が直面する問題を世界と共有するとともに、そうした問題を克服するために、世界が日本の私たちとどのように連携し、具体的にどんな形で貢献できるかを議論し、実践へと移していくための絶好の場となっているのだ。
 閉会式では、5月に来日したピレー国連人権高等弁務官や、モンゴル大統領の代理者、宗教界を代表しバチカン市国の国務長官、さらには次代を担う子どもたちの代表などもスピーチ。大会宣言(別紙)を採択した後、パレ・デ・ナシオン前の広場まで行進し、死刑廃止の願いを込めた沢山の風船を空高く放った。
 第5回大会は2013年スペイン・マドリッドでの開催が予定されている。3年後こそ、死刑廃止に向けて一歩でも半歩でも近づいた日本の姿を、報告したいと考えている。


第4回死刑廃止世界大会 大会宣言
 2010年2月24日~26日、スイス・ジュネーヴにおいて第4回死刑廃止世界大会がECPMの主催、スイス連邦による後援および世界死刑廃止連盟(WCADP)との協力により開催された。
 諸国家・国際諸機関によるコミットメント及び強力な支援を含め、3日間にわたる充実した議論、経験交流、戦略の策定、証言の共有を経て、われわれ参加者はこの宣言を採択する。
 われわれは、以下のことがらにつき、満足をもって指摘する。
 すなわち2007年にパリで開催された第3回大会においてなされた勧告のうち、いくつかが実現されたこと、国際人権(自由権)規約第二選択議定書を批准した国家の数が62カ国から72カ国に増加したこと、死刑執行モラトリアムを求める決議が、二度にわたり国連総会において100カ国以上の国家の賛成多数によって採択されたこと、死刑に反対する新たな地域組織が誕生したこと、WCADPの加盟組織が104団体へと大いに増加したこと。
 また、以下の事項について緊急の必要性があることを指摘する。
 すなわち、法廷・弁護士会・メディア・教育機関・大学において努力を強めていくこと、人権組織・国会・政府・国際および地域機関において、現時点では国際社会において十分に注目されていない死刑存置国に対して、死刑廃止国家コミュニティへの参加が可能となるよう、死刑の運用について透明化し、刑法上死刑の適用が可能な犯罪の数を減少させるよう奨励すること。
 われわれは、欧州連合による死刑廃止の取り組みと継続的な支援を強調し、
 スイス、そして、全世界における死刑廃止を目指し2015年までに死刑執行モラトリアムの実現を目指すスペインによる、今大会にとどまらないイニシアティヴとコミットメントを歓迎し、
 とりわけテロリズムとの関係において死刑が生み出す感情的な負担を考慮し、死刑はいかなる状況下においても、暴力および社会に広がる緊張とに対する適切な応答とはみなしえないことを再確認する。
 われわれは、ここ国際諸機関を擁する平和の象徴の都市から、以下のことを求める。
― 事実上の死刑廃止国は、死刑を廃止する法を制定すること
― 死刑廃止国は、全世界における死刑廃止を、人権促進のための外交政策の主要な焦点として国際関係の中に位置づけること
― 国際機関および地域機関は、教育的活動を支持し、地元で活動する死刑廃止NGOとの協力を深め、死刑執行モラトリアムを求める決議の採択を含め、全世界における死刑の廃止を支持すること
― 死刑存置国における死刑廃止団体および活動家が、それぞれの地域において全世界における死刑廃止の活動を促進すべく、その力と、全国組織あるいは地域連合体を創設ないし発展させる決意とをひとつにすること

 2010年2月26日
 ジュネーヴにて

(初出『CPR News Letter 63』2010年6月8日 監獄人権センター発行
 年報・死刑廃止2010『日本のイノセンス・プロジェクトをめざして』掲載)

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